ボディメイクバカ一代

そのワンレップに「愛」を込めて

年下から学ぶという「勇気」

ボディメイクによって自分を変革しようと思うこと。

ボディメイクをきっかけに、自分のこれまでのどうしようもない人生を変えようとすること。

とても素晴らしいことだと思う。

前回もお話させていただいたが、ボディメイクとは単なるトレーニングではなく、食事、睡眠、運動、メンタルヘルスなど生活全般をマネジメントして自分の身体を美しくしていく営みのことであると私は考えている。

実はこの考えにたどりつくまでに、私はユーチューブから多くの学びを得た。

最近のユーチューブには、単なるエンターテイメントだけでなく人生をより良く生きるためのヒントとなるような情報を発信している動画制作者たちもいる。

自分自身の価値を高めようと決意し筋トレを始めた頃、私はそういった動画制作者たちの意見に耳を傾けていた。

私はデジタルネイティブ世代ではない。

それゆえ、動画制作者のほとんどは、私よりも一回りも二回りも年下の若者たちであった。

しかしそんな私よりも人生経験が浅いはずの若者たちが発する言葉は、私を大きく突き動かした。

「早起きしろ」

「きちんとした食事をしろ」

「身なりを整えろ」

「外に出て陽の光を浴びろ」

「自分を律しろ」

そして…

 

「体を鍛えろ」

 

彼らが語る言葉はすべて、子供の頃、親や先生など身の回りの大人たちからいつも聞かされていたような”当たり前”なことばかりだった。

しかし同時に、当たり前ではあるけれど、どこかに置いてきぼりにしてしまっていたことであり、いつの間にか価値を忘れてしまっていたことでもあったような気がした。

もはや遠い昔の記憶の果てに忘れ去った ”当たり前” に ”普通” なことを、ストレートに言われるのは、逆に新鮮でもあった。

それにしても…なぜだろう。

以前のプライドの塊のような私であったら、彼らを見下しこそすれ、彼らから学ぼうという姿勢など決して生まれなかったに違いない。

以前の私であれば、彼らを人生経験の浅い「若造」として門前払いし、彼らの意見を取り入れようなどとはつゆも思わなかったに違いない。

どういうわけか、あのときは彼らの意見を熱心に聞き、自分の中に取り入れようとした。

そして、それが結果的に非常に功を奏した。

彼らが言うように、私は早起きに挑戦した。

彼らが言うように、私は自然なものを食べるように心がけた。

彼らが言うように、外に出て陽の光を浴びた。

彼らが言うように、身なりを整えるようにした。

そして、ひたすらに筋トレに取り組んだ。

もちろん、未だに完璧にこれらのことをこなせているわけではない。

しかし、少しずつ、少しずつ、現在進行系で進歩している。

先日、職場の女性職員たちが数年前に行われた職場の飲み会で撮った写真を見ていた。

彼女たちは他人の姿を品評し、

「〇〇ちゃんは変わっていない」

「△△さんは老けた」

など、好き放題に言っていたが、いよいよ私の番になった時、当時の私と今の私の豹変ぶりに感嘆の声を上げていた。

誰がどう見ても、今の私の方が若々しく「かっこいい」と。

そして、私自身も数年前の自分自身の姿を見て、当時の自分のあまりにも腑抜けた姿に情けなさを感じた。

手前味噌な話をして申し訳なかったが、「若造」たちが語る ”当たり前” を自分の中にマインドセットとして持ち、それを実践した日々がこういった結果を作ったのだ。

「若造」たちが発する真っ当な真実を、中年のくだらないプライドで門前払いにすることは簡単だ。

しかし、それによって「自分自身」を守ることはできるかもしれないが、同時に得られたはずの価値を失っている可能性もある。

なぜあの時の自分はそれをせずに彼らの言葉を受け入れたのかは自分でもよくわからないが、今ではそれを受け入れた自分に感謝しているし、そして気づかせてくれた「若造」たちにも大きなリスペクトを抱いている。

ボディメイクでもなんでも、今の現状に満足できていない人に助言がある。

ぜひ、年下から学ぶ「勇気」を持ってほしい。

特にボディメイクという分野においては、中年になると教師は年下の方が多いだろう。

一般の社会生活においても、中年になると年下と関わることの方が多くなる。

確かに自分より人生経験が浅い人間から教えを請うことに、抵抗を感じることはあるかもしれない。

しかし、フラットな気持ちで耳を傾けると、我々には思いも及ばない核心を突いている場合もある。

プライドや偏見で自分を守ることでエゴは満たされるかもしれないが、せっかくの自分の成長の機会を逃すのはもったいない。

エゴを満たすことに執着し、成れの果ては「老害」になっても虚しいだけだろう。

私はこれからも、年下から学ぶというマインドセットを大切にしたい。