ボディメイクバカ一代

そのワンレップに「愛」を込めて

「人生をよりよくするためのボディメイク」へ

これまで、私が高校時代に筋トレに出合い、大学卒業後するまで腕立て伏せに没頭し続けた遍歴を掲載させていただいた。

大学卒業後、私は筋トレすることをやめ、その後、約20年間、ボディメイクから遠ざかった。

端的に言うと、社会人になった後、ボディメイクすることの意義を見いだせなくなってしまっていた。

社会人になった後、日常の喧騒が徐々に私から筋トレの習慣を忘却させた。

先輩の社会人たちからは、仕事で業績を上げることこそが正義であり、世の中は金と権力、富と名声を得たものが勝つというゲームであることを学んだ。

そして、ストレスにまみれた労働環境は、休日に自分を追い込めるだけの身体的精神的余裕を残してはくれなかった。

また、社会人には「飲み会」がつきものだった。

私は昔から飲み会が苦手であったが、社会人たちはこれを至高のエンターテイメントと位置づけていた。

下手をすると、この場での活躍ぶりが仕事での評価にも直結しかねないリスクもあった。

だが、はじめのうち本当に苦痛で仕方がなかった飲み会も、私が社会人に染まるにつれて、徐々に徐々に、自らこれを求めるようになっていった。

アルコールに酔いながら会社や上司の悪口を言い合うことでストレスを発散するという、非生産的な時間の使い方に意義を見出すようになってしまった。

気がつけば、自分から率先して飲み会の機会を欲するようになっていた。

そして、かつての狂気じみた腕立て伏せによって作り上げられた胸筋を中心に大きく発達した私の体は、みるみる醜くたるむようになり、顔の輪郭も丸みを帯びるようになった。

自分では全く気がついていなかったが、私は石を投げればぶつかるほどそのへんにゴロゴロしている「オジサン」そのものになっていた。

さらには、過去の筋トレ経験から自分の身体は人より抜きん出ているという思い込みから抜け出せずにおり、その妙な自信が「自分自身には価値がある」と、なんとも恥ずかしいメンタリティだけは保持している状態となっていた。

そのまま進めば、私は間違いなく絵に描いたような「老害」そのものになっていたのだろう。

なんとも愚かな話である。

しかし、私にとって幸運だったことは、そういった自分の醜い姿に気がつくことができたことだった。

詳細についての記述は避けるが、ちょうど40に差し掛かる頃、私は自分自身の価値について考えさせられる機会があった。

世の中には成功している一部の人もいれば、毎日満員電車の中で冴えない姿をさらしている大多数の中年サラリーマンもいる。

なにの努力もしていないのに自分は成功者の側と確信していた私だったが、客観的に冷静に自分を見つめると、自分はあきらかに冴えない姿の側だった。

こういう生き方で自分は満足できるのか?

できない。

断じてできない。

ただ漠然とただ漫然と生きて、死ぬ間際に「ああ、俺の人生はいい人生だった」と思えるようには思えない。

少なくとも、あの集団とは一線を画す位置に這い上がる努力をしないと後悔しか残らないに違いない。

そう考え直した私は、英語の学習を始めるとともにジムに入会して筋トレを始めた。

はじめはどちらかというと英語の学習に力を入れた。

半年くらい一生懸命取り組んだと思うが最終的には続かなかった。

理由は、根本的に勉強という行為があまり自分に向いていないからだと思う。

修行と苦行がある。

修行は突き詰めればある種の境地に達することができるが、苦行はどこまでいっても苦しみしかない。

机にかじりついて行う勉強という行為は、どちらかというと私には苦行だった。

ある時期から英語の学習は諦め筋トレに集中することにした。

若かりし頃、私は腕立て伏せに取り憑かれていた。

しかし、今回は「誰が見てもただ者ではないと思われる身体」を作り上げることをテーマに、これまで経験のないウエイトトレーニングに挑戦することにした。

はじめは敷居が高く、なかなか足を踏み入れづらかったフリーウエイトエリアにも勇気を出して入っていき、なれないバーベル、ダンベルでのトレーニングにも取り組んでみた。

ウエイトトレーニングは、自分が持ち上げられる重さが明確なので成長の度合いもわかりやすくモチベーションも保ちやすかった。

体つきも少しずつ変わっていき、周囲から「デカくなりました?」と言われることが増えるようになった。

入会から2年も過ぎたころには、ベンチプレス100kgを挙げられるようになり、これは相当自信がついた。

そして、自分の体をよりデカく、格好良くするためにどうすればよいか、本を買ったり動画を見たりして勉強し実践した。

その中で大きな発見だったのは、体を格好良くする営みすなわちボディメイクは、イコール、トレーニングではないということだった。

それまで、体を格好良くするためには筋トレ「だけ」をすればよいと思っていた。

しかし、筋トレはあくまでボディメイクの一部であり、本当にボディメイクしたいのならば、運動だけでなく食事や睡眠、メンタルヘルスをどう整えるかなど、日常生活全般に渡って検討・調整しなくてはならないことに気がついた。

そのことに気がついてから、ボディメイクは日常生活の変革でありその変革の積み重ねがボディメイクであるからには、最終的には人生の変革がボディメイクであるという結論に行き着いた。

そして今、私はボディメイクという活動に哲学を持って取り組むことで、人生をより良い方向に持っていけるのではないかと考えている。

「人生をよりよくするためのボディメイク」

私は今、こういった視点に立ってボディメイクしている。