自己啓発に生きる戦士たちの間には常識がある。
それは、2025年はすでに始まっているということ。
一般の人にとって、2025年が始まるのは、2025年1月1日。
しかし、自己啓発戦士にとって、2025年は2024年9月1日にすでに始まっているのだ。
自己啓発戦士は、2025年成し遂げるべきことに向けて、2024年の9月から取り組み始めている。
世間のみんなが「ハロウィンだ」「クリスマスだ」と浮かれている間、自己啓発戦士は来たるべき次年に向けて準備を始めている。
もちろん私も、ハロウィンの日には筋トレしていたし、クリスマスの日もロードワークを予定している。
そして、初詣すらすでに終えている。(しかも2回も行った)
ケーキやおせちを食っている余地はない。
潜行密用
禅仏教の言葉だが、だれも見ていないところで努力を続けることが大切だ。
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受験生たちよ。
君たちも、いわば自己啓発戦士だろう。
限られた時間を、来たるべき日に最高の結果を出すために犠牲にしている。
自分自身をコントロールして、自分の中の眠る能力を最大限に引き出すことと向き合っている。
みんながおしゃべりやパーティーで遊んでいるときに、1人机に向かい、自分自身に向き合っている。
無事に受験に成功した後も、自分自身と向き合うかどうかはその人次第だが、少なくとも、自分の中に目標を掲げ、その目標に向かって一心に努力している今の姿は、自己啓発戦士以外の何物でもない。
正々堂々、自分自身と向き合い、最後まで闘ってほしいと思う。
自己啓発戦士にクリスマスがないように、君たちにもクリスマスはない。
もちろん、これは比喩表現だ。
クリスマスに家族とケーキを食べてもいいし、恋人と遊びに行ってもいい。
受験生だからといって、楽しみをすべて失ってもいいというのは違う。
ただ、「クリスマスも正月もない」という気持ちで日々過ごせているかという姿勢が問われている。
その比喩表現が、「クリスマスを祝ったら負ける」ということだ。
普段ロクに勉強もしないで、クリスマスの時だけ「俺はパーティーに参加しないで勉強する」というのは、ただの自己顕示だ。
そうではない。
普段から自分自身の限界に挑む姿勢で取り組んでいるかどうか。
来年の3月、仮に負けたとしても、最大限の努力をして負けるのと、勝つことを放棄して負けるべくして負けたのとでは、同じ負けるでも意味合いが違う。
そして、「Fランしか合格できなかった、浪人する経済的余裕もない、Fランに行くくらいなら工場勤務してやる、、、」など、自暴自棄にはならないほうがいい。
残念ながら、世の中には学歴格差というのが明らかに存在している。
高卒のまま社会に出るのと、Fランでも大卒の看板を持って社会に出るかどうかでは、その後の人生で選択肢の幅が大きく変わってしまう。
極端なことはせずに、悔しさを胸にFランに行って、逆転の機会を虎視眈々と狙えばいい。
ちなみに、私が受験生の時、終盤は勝負はどうでもよくなっていた。
ただ1日も早く、この地獄のような日々が終わってほしいとだけ願っていた。
(救いの道を仏に求めたことは以前書いた)
明らかに限界を超えていた。
鉛筆を握ることすらできなくなっていた。
しかし、それでもなんとか鉛筆を握ろうとした。
机に向かおうとした。
刀は折れ、矢も尽き果てていたが意識を保とうとした。
が、その姿勢が勝利を呼んだのか、予想外の好成績をおさめたのだと思う。
いずれにせよ、あの頃も今も、私は自分自身に挑んでいる。
そして、自分自身に挑んでいる人が大好きだ。
そういう人を、心から応援したい。