SATURDAY NIGHT RUN

週末自分磨きおじさん

ミスターカラテカ

今週のお題「ちょっとした夢」

 

私がまだ幼かった時分、同級生の親戚がカラテを習っているというのを聞いた。

当時の私はカラテのなんたるかもよくわからなかったが、幼い子どものノリみたいな感じで自分も習いたいと言った。

親はそれを本気に取ったらしく、たまたま近隣でカラテ教室があるのを知ると私を連れて行き、私はそのままカラテを習うようになった。

カラテと一口に言っても、流派は色々で、私が通った教室はほとんど型の稽古みたいな感じで、実際に叩いたり蹴ったりといった練習はほぼ皆無であった。

それでも、小学生に上がると組手と言って防具をつけて実際に叩き合う試合があり、毎年夏を過ぎると、大会に向けての練習が始まるのであった。

 

何年生の時だったろうか、記憶は定かでないが、試合に出たことがあった。

初戦、私よりも背は小さいが体はズングリした少年と当たった。

バチバチのインファイターだった。

私はとにかく後退しながら相手の攻撃をかわしたが、しつこく突進してくる。

かわしてもかわしても突進してくる攻撃スタイルに私は息が上がり、それはもう苦しかった。

残り時間少なくなったところで、先生から

 

「後ろにさがるとき、反対側に回ってみろ!」

 

とアドバイスされた。

先生の言うとおり、反対側に回って逃げながら右ストレートを放ったところ、たまたまクリーンヒットしてそれがポイントとなった。

そしてそのまま私が勝利。

人生ではじめて勝利した瞬間だった。

しかし、私はその勝利をまったく喜ばなかった。

こんな苦しい経験をしたことなど一度もなく、カラテとはなんと苦しいものなのだろうと思った。

 

 

2回戦目、相手は明らかに私より弱かったが、このまま勝ち進むとまたあんな苦しい思いをすると計算した私はわざと負けるということをやった。

自分の道場の休憩スペースに戻ると、そこにいたおじさんから「どうだった?」と聞かれたので「わざと負けた」と返答した。

おじさんは沈黙していた。

その後も同様に大会があると、私はわざと負けるということを繰り返した。

ある時、先生が私の試合のセコンドについた。

先生は私がわざと負けていることを見抜き、こう言った。

 

「お前、わざと負けただろ。空手やめろ」

 

と、静かに言われた。

幼いながら、自分はしてはいけないことをしたんだなと気がついた。

 

翌年、道場の新年会があった。

稽古と昇給審査が終わったあと、飲み会となった。(飲み会といっても子どもは、ジュースを飲んで騒ぐだけだったが)

私はあのとき、自分が「わざと負けた」と告げたおじさんに呼ばれた。

おじさんは、

 

「おれは、お前があのとき、ああ言うことを言ったのがくやしかったぞ」

 

遠くで先生も私のことを見つめていた。

子どもながらに、私は自分自身が情けなくなった。

気がつくと目に涙があふれて大泣きしていた。

その後、小学校卒業まで空手は続けたが、防具をつけて実際に殴り合う試合には出ることがなかった(避けたのではなく、機会がなかった)。

中学に上がると、学校から部活動入部を強制されたこともあり、その後空手教室に通うことはなくなった。

 

 

あれから30年以上経った。

人生のふとした瞬間に、あのときの苦い思い出が蘇えることがある。

若い頃は「自分はキツイことから逃げるヤツ」と自責してしまうこともあった。

ある程度年齢を重ね、身体的な強さがそれほど価値として感じられなくなってからは、あのときの苦い思い出にもさしてとらわれなくなったけれど、でも、自分の中でいつか回収しておかなくてはならない過去のような気もどこかでしていた。

今年の7月、筋トレをしてボディビルの大会には出たけれど、「ここじゃない」という気がした。

大会後、私はキックボクシングのジムに入会した。

グローブ空手という競技があるらしい。

実質的にキックボクシングで、空手の道着は着用するが、ボクシンググローブをつけて実際に殴り合いをする。

この試合に出ようと決めた。

防具なしの生身の顔面攻撃ありだから、子供の頃に習った空手よりも、もっと厳しい競技になる。

正直、あのときの苦い思い出を回収しようとか、もうどうでもよい気持ちはあるけれど、やはりあのときの情けない自分を回収して、

 

「私はカラテカです」

 

と胸を張って言いたい。

 

それが私の今の夢といえば夢である。

 

そして夢の実現に向けて、今日もジムに向かう。