今週のお題「夏の思い出」
夏と言えばこんなことを思い出す。
昔、剣豪・宮本武蔵が、大人数との決闘を前にして、道端に佇んでいた祠に向かって手を合わせそうになったとき、ふと我に返って
「神仏を尊べど、これをたのまず」
と言ったという。
神仏を敬いはするが、その力に頼ろうとしているようでは、自分はまだまだだと考えた。
スーパーストイックである。
ちなみに格闘家の朝倉未来さんも、不良として鳴らしていた時分、50対1の喧嘩に臨んだことがあるそうだが、これもさながら宮本武蔵のようなエピソードだ。
さて、私は、彼らほどの領域に達していない一般人に過ぎぬので、神仏にはよく頼ってしまう。
結果、どちらかというと痛い目にばかり遭うのだが、おそらく、神さまも仏さまも、私のうす汚い下心に辟易して、それ相応の罰を下してくださっているのだろう…
もう何年も前の話だが、こういったことがあった。
愛知県の南、知多の方に、野間大坊というお寺がある。
職場の女の子がかつて、ケータイが水没したり、晴れてるのになぜか自分の頭の上にだけ水が降ってくるなど、摩訶不思議な現象にとらわれていた時期があったという。
なにかおかしいなと思っていたところ、霊感が強いという友人にキツネが憑いている、と指摘されたのだそうだ。
友人によると、野間大坊に行ってみるといい。
そこに行くと、そこの神様が悪いのを斬ってくれる、と。
半信半疑ながら、その子は野間大坊に行った。
別にお参りをするわけでなく、ただ境内を散歩しただけだった。
しかし、それを機に、それらの水害はピタリと止んだのだという。
それを聞いた私も、野間大坊に行けば、自分に憑いている(と思い込んでいた)悪霊を追い払えるのではないかと考えた。
当時の私は(というか今も)、自分の境遇を嘆き、それはきっと悪霊が憑いているからだと思い込んでいたのだ。
早速、その女の子に一緒に行かないかと問うたが、二つ返事で断られ、やむなく一人で行くことにしたのが、何年も前の夏のことだった。
最寄り駅で降りたが、彼の地までは歩いても結構かかる道のりだった。
途中、野間大坊とかかわりのある歴史名所みたいな所の案内があった。
遠路はるばるこんな所まで来たからには、せっかくだから寄ってみようかと立ち寄った。
あとから知ったのだが、人気のない山の中腹にあるその場所は、かつて野間大坊に祀られている某という武将と敵対した人物を磔にした場所なのだそうだ。
なんとも怨念に満ち溢れた場所である。
生来、霊感というものに疎い私なので、立ち寄ったところで特になにも感じなかったが、今から思えばあのような場所には行かない方がよかったと思う。
なにかで見聞きしたのだが、1日のうちに同時に行かない方がよい神社仏閣もあるという。
敵対した武将同士を祀っている場所に同時に行ったのは良くなかったかもしれない。
私はその後、野間大坊に赴いた。
そこは言ってみれば、外観はいわゆる通常の神社仏閣の類であったが、中には「血の池」なる、かつて切り落とした首を洗った池というなんとも物騒な場所もあった。
ひと通り見物し、本殿に祈祷して帰路についたが、その帰り、自動販売機で飲料を購入したところ、小銭が飲み込まれてしまった。
お参り直後からこのような不運にみまわれ、なんとも嫌な予感がしたものである。
その後も私は、あのときあの女の子が教えてくれたエピソードにしがみつき、2年ほど年始の初詣のために野間大坊を訪れた。
自分にとっては縁もゆかりもない場所なのだが、悪霊を斬ってくれると信じていた。
しかし、野間大坊に初詣したその年は、あとから考えるとあまり良くない1年になったように思う。
一昨年ほど前から、とりあえず、年末年始のお参りは地元の神社に行くようになって、嫌な予感も減ったような気がするのは気のせいだろうか…
その後、かつて野間大坊の近くに住んでいたことがあると言う人に会った。
その人にこのエピソードを話したところ、野間大坊はどちらかというと心霊スポットとして有名だ。自分の友人なぞは、野間大坊の近くにアパートを借りていたが、よく怪奇現象に遭遇して気味悪がっていた、とのことであった。
いずれにせよ、神仏に自分の運気をあげていただこうという他力本願なスピリットであるうちは、いかなる運気も逃れていくのだろうというのが今の私の結論である。