KENT.D.D FIT & LIFE

ー理想のボクサー体型を求めてー

プッシュアップ・ノスタルジー

今週のお題「懐かしいもの」

 

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おつかれ。

 

昨日もb-monsterに行った。受けたのはもちろん”HARD”だ。行く前はそうとう憂鬱だったが、「ここで行ったら勝ちだな(自分に)」と考えて、重たいからだを無理やり叩き起こして行った。”HARD”だから相当きついが、初回に受けたときに比べたら全然ついていけるようになっていた。「楽しんだ」というのは少し言い過ぎかもしれないが、少しは楽しめる部分も出てきたと思う。おかげで今日は体がボロボロだが、なんか「やりきった」という心地よい達成感みたいなのはある。

 

さて、「懐かしいもの」だ。

 

実際、これから話そうと思うのは、「懐かしいもの」というより「こと」だ。おれにとって懐かしいといえば、「プッシュアップ」だ。

 

実は昨日も似たような文章を書いた。

 

おれは高校生の頃にプッシュアップ(腕立て伏せ)に取り憑かれたことがある。生きている意味をそこに見出していたと言っても過言ではない。人は生きていて、何かしら他人に誇れるものを持っているに越したことはない。

 

実際、社会人となってから今日まで、おれはそれを失って生きてきた。ただの普通のサラリーマン。転職も繰り返したが、ろくに貯金もせずカネもなく、周囲に流されて「世間に対して恥ずかしくない」状態を保つことに終始してきた。その結果が今だ。会社ではある程度の地位を得たかもしれないが、ひたすら他人目線、他人基準に生きてきたせいで、なんの面白味もない「オッサン」になってしまった。おれはただの「オッサン」から脱却したいと思って自分の胸の内に耳を傾け、体を鍛えている

 

それに比べれば、色々めちゃくちゃだったが、高校生の頃のおれは生きていることが楽しかったと思う。余計なことにとらわれずにひたすらプッシュアップのことだけ考えて過ごしていた。

 

もともとおれは中学時代までは、周りは田んぼだらけのド田舎で過ごしていた。ド田舎すぎて周りは「勉強する」みたいな発想がなく、たまたまおれの両親は「教育熱心」だったことで勉強することを強制されてなかなかハードだったが、その分、スポーツとか体を鍛えるということに否定的で、実際、おれも運動神経はよくなかったので、そっちの方で目立つようなことはなかった。だが、田舎というのは勉強に対して否定的な空気で、その分、スポーツできるやつはエライみたいな雰囲気だったから、正直、おれ自身はスポーツができない自分にどこか自信を持てない感じだった。

 

親の「教育熱心」によって、おれはその後、いわゆる「進学校」と呼ばれる高校に入ったのだが、そこの空気は少し違っていた。周囲はどちらかといえば勉強ばかりしてきたような感じのやつらだったから、スポーツで活躍することがイコールエライみたいな空気はなかった。そして、ひょんなことからおれは相撲部に入部したのだが、相撲部というのは名ばかりで実際はほとんど帰宅部だった。練習は新入生が入ってきた最初の1週間と、大会前3日間くらいで、あとは自主練と称してさっさと寮に帰るような感じだった。しかし、その相撲部に入部した初日に腕立伏せ100回をやらされた。おれはそれまで腕立て伏せなど10回もできなかったから、はじめての経験だった。だが、その腕立て伏せ100回やった翌日、自分の腕や胸が、激しい筋肉痛とともに今まで自分が経験したことのないほどに腫れ上がった感じがした。パンプアップというのか。それまで、いわゆる筋肉ムキムキというのは漫画の世界だけかと思っていたが、自分の腕、胸のあたりが漫画で見たような筋肉になっているような気がして高揚感があった。「これを続けたらどうなるのだろう?」と思い、その日からおれは、寮に帰ったら即屋上に行き、だれもいないところでひたすらプッシュアップすることが習慣となった。

 

時が経ち、おれの特に胸あたりの筋肉はいまだかつてないほどに発達し、中学生の頃、体が細く、弱々しかった自分に対するコンプレックスも解消した。こうなると面白くて仕方がない。本来、親はおれに勉強していい大学に入ってもらうためにこの学校に入れたのだろうが、おれはそんなことお構いなしに、勉強する間も惜しんでひたすらプッシュアップに時間を費やした。卒業する頃には、日曜日を抜かして1日の例外もなく毎日500回のプッシュアップを行うことを自分自身に課し、生活のすべてがそこに収斂するようになっていた。もちろん、大学受験は失敗。しかし、失敗して2年の浪人生活を送っていた間も、プッシュアップだけは続けていた

 

客観的にみて、その頃のおれに社会的な価値はなにもないのだが、おれ自身は「おれは毎日腕立て伏せ500回をやっている」という謎の矜持を持っていた。

 

だが浪人し、周囲の価値基準が「大学に合格」という一点になったときから、少しずつその矜持は薄れ始め、大学に行き、「楽しいキャンパスライフ」を送ることが価値となってくると、いよいよ、自分のプッシュアップオンリーのあり方が通用しないことに気が付き、社会人となってからは、もはや、体を鍛えるという行為自体が意味をなさなくなった。そして、プッシュアップどころか、そもそも体を動かすということすらなくなった

 

結果、体つきはだらしなくなったが、それが社会人として正しいあり方と思い込み、暴飲暴食、夜遅くまで飲み会に明け暮れ、くだらない会社の悪口に興じる「普通のオッサン」に成り下がった

 

それから20年以上経った。自分が何者でもないということに対する焦燥感おれの人生は他人に支配されたまま終わるのかという不安感が日増しにおれを襲うようになった。そして、おれはジムに通うようになった。しばらくウエイトトレーニングをおこなってきたが、自分のなかでなにかが足りない。ウエイトトレーニングでは、高校生だったあのとき、毎日の屋上で1人、プッシュアップして、その日の目標回数を終えたときの達成感が起きない。

 

プッシュアップ・ノスタルジー

 

20年以上のときを経て、おれはベンチプレスをやめ、再び、ただひたすらプッシュアップすることを再開したのである。

 

 

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